プロフィール 

小濱達郎 (こはまたつろう)

大阪府高槻市出身。39歳。住宅街のど真ん中、
高圧電線が走る鉄塔のふもとで育つ。

2人兄弟の次男。

幼少期から、両親のケンカが絶えない家庭で育つ。
でも、愛情はたっぷり注いでもらいました♪

公文式のお勉強を重視する幼稚園を卒園。

小学校中学校と、勉強まじめ少年
中学校の内申書は、90点満点中86点という
驚異のまじめっぷり
暗記することは、得意でした。
中学校の定期テストは、
ひたすら暗記していました。

一方で実力テストの類は苦手で、
考えるということには、ちゃんと
向き合えていなかったのだと思います。

また、親に褒められたい、
怒られたくないという動機に支えられ
頑張れたのかもしれません。

高校時代

高校生の頃は、バドミントン部の部長を
したり、たまには羽目を外して遊んだり、
また失恋を何度も経験しました。(フラれる専門)

卒業までに、一人の女性に、結局4回ほど告白しました。
結果は全敗でした。(汗)
(ストーカー行為はしていませんよ)

たくさん泣きました。

でも、失恋は多くのことを僕に教えてくれました。

その一つは、

自分がいくら努力をしても、
他人の心を変えられるものではない。

ということです。

僕は何のために生きているのか?
ということを考え始めたのも
ちょうどその頃でした。

高校を卒業後、現役で
大阪大学の基礎工学部に入学しました。

大学時代

大学で、アカペラサークルに出会い、
人前で歌を歌うようになりました。
音楽を始めたのは、ちょうどこの時期(18歳)からです。

最初は、音程もリズムも自己流で、
ハモるという意味すら、わかっていませんでした。

ボイストレーニングの本を読んで、
ボイストレーニングの教室にも通い、
毎日のように必死で歌の練習をしました。

昼休みに大学の非常階段にいって、
一人で発声練習をしていたことを覚えています。

これだけ、歌にのめり込んだ理由を振り返ってみると、
自分に何か特技のようなものが欲しい!と思ったことが
あげられます。

もちろん、歌うことが気持ちよくて、好きだったからには
違いないのですが、高校時代の失恋経験を経て、
自分自身の人間としての価値を
どうやったら高められるか、というようなことを
考えていたのかなと思います。

アカペラグループで歌っていた頃

音楽にのめり込む

歌が上手くなるためには、
楽器も弾けた方がいいと先輩に言われ、
21歳頃からピアノを弾き始めました

その後、ジャズ研に所属したり、
学業はそっちのけで、音楽づけの学生時代でした。

実は、先輩のアカペラグループがデビューをする際に、
一緒にやらないか?と誘われていました。

バンドを組んでいた頃

もちろん悩みましたが、親に説得されたこともあり、
断ってしまいました。もし、断っていなかったら、
今とは別の人生を送っていることでしょう。

大学院へ進学しました。

だからといって、研究に熱が入るわけでもなく、
学校にいくものの、研究室にはいかず、
歌やピアノの練習ばかりしたりしていました・・・

大学院の1年生の夏ころからは、就職活動がスタートし、
僕も真剣に考えました。

履歴書を書くにあたって、自分は一番何がしたいのか?
ということを追求すればするほど、
「音楽」という二文字がどうしても消えませんでした

結局、卒業後、就職しませんでした。

両親(特に父親)とは、そのことで非常にもめました。
今でも、わだかまりが完全に溶けているわけではありません。
親の価値観と、僕の価値観は違うのです。
お互いに認め合えたらよいのかもしれませんが、
いまだに、このことは、僕の中に引っかかっています。

やはり、高度成長期を生きてきた父は、
それなりに右肩上がりの良い時代を過ごしてきたわけで、
自分自身の成功哲学というものがあり、
それと僕の人生を照らし合わせたときに、
「違う」と感じたのだと思います。

ある意味、仕方のないことだと思います。

ただ、僕は、もうこの先の時代は、
かつてのように勤め人になっていたら
安心ということでもないと思っていますし、
人生において、一番大切な
「幸せ」に対する想いは、
人それぞれ異なるものなのです。

ずっと親の敷いてくれたレールの上を生きてきましたが、
結果的に大幅に脱線することになりました。

とはいえ、
僕のことを心配しながら、
深い愛情をもって、応援してくれていることは
僕自身も感じています。

だから、親にはとても感謝しています。

 

就職せず、音楽の道へ

アルバイトをしながら、ライブ活動を精力的に始めました。
ストリートライブを毎週行いながら、CD制作や、オーディションへの
応募など、メジャーデビューを目指して、頑張りました。

多いときは、年間100回ほどのライブを行い、
自主企画のホールコンサートでは420人の
集客を達成しました。

しかしながら、心の中では、
大きな悩みも抱えていました

自分自身がやりたい。と思い、
就職の道を蹴ってまで、音楽の道へと
突き進んだ、はずなのに。

そこまで自分自身で音楽の道を
追求しきれない。

同じような失敗を繰り返してしまう・・・

 

何故だ?

心の葛藤があった。

曲作り、歌やピアノの練習を
絶対にしなければならないと決めて、
一日のスケジュールを考えて
机の前に張ったりして、
何とか自分で決めた目標を乗り越えようと
必死だった。

でも、しょっちゅう逃げてしまっていた

出来なかったのだ。

自分を律して律して、努力を積み重ねて、
自分自身の音楽力をもっともっと高めたかった。

音楽を始めたのが遅いし、
やってみて出来ないのは仕方ないとしても、
それにもめげずに努力をすれば、
いつかは壁も乗り越えられると信じていた。

いまでも、それは信じている。

僕自身としては、努力を続けるということに
氣持ちがどうしても向かない、
いや、一時は集中してやるんだけど、
それが続かない。

このことが、嫌で嫌で、
自分を責めて、しばし自己嫌悪に陥った。

僕は元来、とても真面目な性格で、
ある意味純粋なんだけど、
何事も頭で考えてしまうがゆえに、
自分自身の本心、本能とは別の部分で
自分を制御しようとしてきたのかもしれない。

 

自分がやりたいと、親の反対を押し切って進んだ
音楽の道。

それは、本当に僕のやりたいことなのか?

 

時にわからなくなった。

 

音楽をやめたいとさえ思ったことがあった。

でも、音楽をやめる勇気はなかった。

 

僕が音楽を続けてこられたのは、
僕の周りで、僕を支えてくれる人たちが
いれくれたからです。


その方の想いに応えようと、
何とか心を保って音楽活動をがんばっていたのかもしれない。

 

結婚

そんな音楽活動を懸命に頑張っていた頃、

音楽を通じて知り合った、現在の妻と付き合うようになり、
約3年間の交際を経て、結婚をした。

僕自身の、心の底にある闇のような部分まで、
全てをさらけ出し、話すことができる唯一の人。

この人と出会うことができたことが、
人生において最高の幸運だと思う。

 

とはいえ、音楽活動を頑張っていた頃は、
自身の音楽活動とプライベートのことを、
どう扱ったらよいのか、決められずにいた。

歌手、アーティストとして活動をしていたし、
プライベートの結婚を報告すれば、
ファンが減るんじゃないかという心配もあった、

結局は、ファンの方に結婚のことを、報告した。

でも、じゃあライブ会場などで妻がスタッフとして
お客さんの前に顔を出すことはどうなのか?

当時の僕は、その辺りも曖昧なままで、
お客さんをがっかりさせたりもした。

結果的に、僕のそういった曖昧な姿勢が
原因で、お客さんが離れていったりもした。

音楽で生きていくと決めたはずなのに、
本当にその覚悟があったのか、
というか、音楽で生きていくということは
どういうことなのか、
わかっていなかったのだと思う。

今になって振り返ってみると、
そういう核心的な部分がぼやけていたがゆえに
音楽から逃げてしまったり、
行き当たりばったりになってしまったり、
人をがっかりさせたり、
時に迷惑をかけたりもしてしまったのだと思う。

 

社会人として、生き抜いていく!
という決心が弱かったし、

お金なんてなくても何とかなるとか、

結局は、逃げてしまっていた部分があったのだと思う。

 

子どもの誕生

子どもの誕生は、僕の人生にとって、
とても大きな出来事だった。

それまでは、「自分自身の成長のため」、
という考えが僕の頭を占めていたけど、
子どもが生まれることをきっかけに、
子どもの未来のため」という考えが
強くなってきた。

当時は、まだ国の借金が多くて、
本当に大丈夫なのか?とか、
メディアなどの扇動にまんまと
ハマっていたのではありますが、

「未来にツケを残したくない」という想いは、
子どもの誕生をきっかけにして、
強くなってきたのだと思います。

 

東日本大震災 原発の事故

2011年3月 東日本大震災が起こりました。

自然の驚異的なエネルギーを感じたこと。

現地にボランティアで瓦礫処理を行いに行きました。

その時に、現地のボランティアリーダーが瓦礫の受入先に

何故他の自治体が手をあげてくれないのか?と憤っていたのを覚えています。

自宅に帰ってから、親にその話をしたら、

それは、原子力発電所の事故の問題があるからだと言われました。

 

僕は、環境問題とかに関心があるとか言いながらも、

それまで原発の闇には全くの無頓着でした。

そこから、本を読んだりする中で、自分が何も知らなかった

ということに、気がつきました

 

原発はなくせるのか?

原発反対のデモに参加したこともありました。

でも、参加してみて、なんか違うと思いました。

結局、参加している人も、みんな電気を大量に使って、

現代生活をしているくせに、原発ばかりを

反対するのは違うと思ったのです。

あとは、誰かに自分の意見の正当性をぶつけたとしても、

他者の考え方を変えさせることは、現実的に難しいことも知りました。

 

 

 

 



2017年春、京都府南丹市八木町にある農村へ移住。

「世の中を変えたい! そのためには、まずは自分自身から!」

と思い立ち、

循環型の暮らし、持続可能な暮らしを目指し、
自給自足を実践中!

夫婦と子ども4人の6人家族。
ピアノ弾き語りシンガーソングライターとして
演奏活動、楽曲制作、音楽教室の講師も行っている。

田んぼでお米を育て、畑では自家用の野菜を。
庭では果物。冬場は猟師として肉(ジビエ)の自給も。

また、築120年以上の古民家で暮らし、
コンポストトイレ、薪ストーブなども
暮らしの中に取り入れている。

田舎で暮らし、
家族みんなが健やかに
心豊かに暮らしていけるよう、
一生懸命に取り組み中!

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