狩猟 食の自給

狩猟の醍醐味とは?!

こんばんは。
こはまたつろうです。

昨日で、猪肉の精肉、真空パックがひと段落しまして、
今日は日をまたぐ前にパソコンの前に座ることができています。

とはいえ、一昨日、
メスの鹿が罠にかかっていまして、
疲労困憊ではありますが・・・

さて!

このブログでは、
狩猟に対して、
時間も取られるし、危険だし、大変だし、お金もかかる。
などと、
割と負の部分を多く発信してきました。

ようやくここにきて、
僕が狩猟をやってみて得た、その醍醐味について
書いてみたいと思います。

 

僕が感じた狩猟の醍醐味とは?

1.超絶に美味しい肉を、おなか一杯、贅沢に食べることができること。

これが、一番に来ると思います。

自給自足を実践している醍醐味とも言えますが、
無農薬で天日干ししたお米を自給していますが、これもめちゃくちゃ美味しい。

今の時期、畑で取れる、人参、白菜、大根、キャベツなども、本当に美味しい。

そして、ジビエ肉!

先日の、猪肉を食べて、改めて実感しましたが、

あまりのおいしさに感動しました。

肉質のよい猪肉ってのは、本当に美味しい。

脂身の部分が、あっさりとしていて、
でも、噛むほどに口の中に美味しさが広がる。
しつこい脂じゃないんです。

高級な焼き肉屋にいって、霜降りの
高級な牛肉を食べたことがありますが、
それらとは全然違います。

強いて言うならば、超美味しい豚肉ですね。

それが、大量に手に入るんですから。

猪肉って、買ったら高いんです。

ロース肉だったら、 100グラムあたり 1000円 くらい普通にします。

1キロで1万円 です。

なかなか、気軽に買える値段ではないですね。

それが、色んな部位をまとめると 約17キロ ありました。

1キロ当たり、平均で700円くらいとしても、

17キ × 700円 = 11万9千円!

これだけでも、
狩猟の初期投資を、回収できそうな勢いです。

実際、狩猟一年目だった、去年も、
鹿肉2頭分と、オスの発情期にはいった巨大なイノシシを1頭分は、
いただくことができました。

今年は、子守をしながらだったので、
知人にさばいてもらったり、おすそ分けしたり、
実際に自分が捌いたのは数頭ですが、
現在、仕留めた鹿は9頭。

お金に換算するのは、難しいですが、
140Lの冷凍ストッカーは、お肉でもう一杯です。

美味しい、ジビエ肉を、心置きなく食べることができるのは、
最高の贅沢だと思います。

鹿肉は、独特の風味があるので、
調理には少し気を使いますが、
カツにしたり、トマトシチューに入れたり、
柔らかく、本当に美味しいです。

ただ、すべての部位が食べやすいわけでもなくて、
少し食べにくい前足の部分は燻製にして食べてみました。

燻製器 ホンマ製作所

 

 

鹿の前足 燻製

 

これが、めちゃくちゃ美味しい!

子どもたちも大喜び!

子どもたちが、喜んで食べてくれるのは、
親として、本当にうれしいことです。

 

2.お肉を食べるということが、どういうことかを身をもって体験できること

お肉といえば、
スーパーのお肉コーナーで売っているものだと思っていました。

きれいにスライスや、ミンチにされて、
パックに詰めてある状態のものです。

だから、それらを食べる時に、
生きている動物を殺して、内臓を摘出し、皮を剥いで、
骨を抜いて、トリミングして・・・
ということは、
イメージできませんでした。

家畜として人間に飼育されているとはいえ、
生きている動物です。

人間と同じ、哺乳類です。鶏は鳥類ですが。

その事実を知ることは、
命をいただいて、僕たちが生きているということを知ることです。

食べ物の有難みが、身に沁みます。

先ほどの、美味しさにも繋がりますが、

やはり感謝という気持ちを忘れてはいけないと思います。

 

狩猟を続けていて、
何頭も何頭も、仕留めることを繰り返していくうちに、
その感謝の気持ちが薄れてきそうになります。

もちろん、命を直接奪うのは、
できればやりたくないですし、
非常に心苦しいです。

このあたりは、狩猟をしていく上で、
醍醐味という言葉は相応しくないのかもしれませんが、
狩猟という行為を通じて得ることのできた
とても大切な感覚だと思っています。

 

3.狩猟自体には、不謹慎ではあるけど、楽しさがある

罠を仕掛ける時。

山に入り、獣道や、獣の痕跡を探りだし、
どこを動物が通っているかを予測し、
ここなら、きっと足を置くに違いないというところに、
知恵を絞り、罠を設置する。

その行為自体は、きっと
魚釣りをする人が、狙った魚を釣るために、
使う道具を選んだり、あれこれと工夫して挑む際に
感じている楽しさと
同じなんじゃないかと思います。

針にエサをつけ、糸を垂らし、魚がかかるのを待つ。
獲物がヒットして、釣り上げた時の喜び、楽しさ。
(僕は魚釣りの経験がほとんどないのでイメージ・・・)

わなを仕掛けて、見回りにいき、獲物がかかっていた時は、
びっくりしますが、

「やった!」とテンション上がります。

と同時に、

「うーん・・・仕留めるのは気が進まない。
けど、早くやらないと余計に獲物を苦しめてしまうことになるし・・・」

という複雑な気持ちにはなります。

生きている動物の命を奪うのは、
心苦しいです。

ですが、
魚に関しては、あまりそういう感情が
沸き起こりにくいようにも思います。

生きている命を殺して、食べるということに関しては
狩猟だって、魚釣りだって同じはずなんですけどね。

たぶん、人間は、
自分の身体に近い構造を持つ動物に対しては、
同情のような感情が沸き起こりやすいのだと思います。

 

また、来る日も来る日も、
罠を見回りにいっても、何もかかっていないときは、
やはり残念だし、面白くないのです。

 

ある人は、

人間には狩猟本能があるんじゃないか?

だから、狩猟行為自体に、楽しさを感じるのは、
本能的な何かがあるんじゃないかな?

と言っていました。

もしかしたら、それも一理あるのかもしれません。

4.現金収入につなげることができること

以前、本ブログにも書きましたが

よい肉質のイノシシ肉は、お金に換えることができます。

鹿は、お肉屋さんに卸しても、二束三文にしかならないことも多いようで、
難しいですが、自分で解体処理施設を立ち上げたり、
工夫次第では、現金収入につなげられる可能性はあるんだと思います。

本気で狩猟に取り組み、
多くの獲物を捕らえることが出来れば、
初期投資を、数年で回収することが
十分に可能だと思います。

 

5.獣害対策に、一石を投じることができるか?

これに関しては、僕自身、あまりピンと来ていないのが、
実際のところです。

近所の人に、どんどん獲ってくれと言われます。
獲ったことを報告すると、喜ばれます。

ですが、この部分はあまり醍醐味とは感じたことがありません。

僕自身、畑を荒らされた経験はありますが、
その仕返しがしたいと思って、狩猟を始めたわけではないからでしょうか。

獣害被害は深刻ですが、
野生の動物そのものに罪はなく、
時代や価値観の変化とともに、田畑や里山を
荒らしてしまった人間社会にその原因が
あると思っています。

野生動物を含めた自然と、人間が共生していけるような
そんな暮らしを実践したいと思っています。

 

大変なことも多い狩猟ですが、
自分の人生の中で、
かけがえのない貴重な経験になっていることは、
間違いないです。

 

とはいえ、この先、狩猟を続けていくためには、
色々な問題をクリアしていかないといけないと思っています。

趣味として、片手間にやるには、
お金、時間、肉体的、精神的な負担が大きいので。

もうじき、猟期が終わりますが、
来期に向けて、その辺りも、新しい取り組みを
考えて、形にしていこうと思います。

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